もったいないが、もったいない【おしゃれ断食】

 

 

こんにちは、葉山莉江(はやまりえ)です

 

先日、ある人から

「おしゃれ断食は、ごちそうさんに似てますね」

と言われました

 

「ん・・? 朝の連ドラ?」

 

ごちそうさんは、時々しか
見ないので、一瞬わかりませんでしたが

 

よく聞くと、主人公「め以子」の
義父、近藤正臣さんの

 

「始末する」

という台詞を聞いて「おしゃれ断食」を
思い出したそうです

 

 

ここでいう
「始末する」「始末がいい」というのは

食材をできるだけ捨てずに
すべて使い切るということです

 

たしかに「食材を無駄にしない」ことと
「服を無駄にしない」ことは似ていますね

 

たとえば、大根ですが

皮は、細かく切って、きんぴらにし
葉は、ごま油で炒めて保存食にすれば

最終的に捨てる部分は、ほとんどありません

 

 

これを服に当てはめると

買う前に、吟味し
買った後は、毎回きちんとお手入れして
天寿を全うさせることだと、私は思います

 

すべての物の天命を全うさせて
最後まですべて使い切る!

素晴らしい考えかたですね^^

 

 

日本には「もったいない」という
言葉がありますが

この言葉の「本当の意味」を理解している人は
どれだけいるでしょうか?

 

ウィキペディアによると

ものの本来あるべき姿がなくなるのを
惜しみ嘆く気持ちを表している

とあります

 

 

「もったいない」からといって
使いもしないのに捨てられず

なんでもかんでも溜め込む人がいますが

 

それは、本当に「もったいない」の精神に
あっているのでしょうか?

 

私は、ただ単に捨てられないことの理由を
「もったいない」という言葉で
片付けているだけのように思います

 

誤解して欲しくないのですが

私は「捨てること」をすすめてている
わけではありません

 

服の「本来あるべき姿」を忘れ
着ないのに「もったいない」という理由で
ずっと持ち続けているのは
間違っていると言いたいのです

 

あなたは、ただ

「捨てる」という行為に対する罪悪感から
逃れたいだけではありませんか?

 

 

「捨てること」に罪悪感を持つ前に

無駄に「買った」ことに対して
罪悪感を持って下さい!

 

食だけでなく、服や、身の回りのものにも

始めから、終わりまで
きちんと責任を持つことができて

はじめて「もったいない」の
精神が身につきます

 

買った服は、その役割を全うさせ

最後は「ありがとう」と
感謝の気持ちを持って「手放す」

 

ここまでできて、はじめて
「始末」できたといえます

 

 

私は、服を買う時に

その服を何年持ち
その間、何回着て
どこに行き、何をするのかを

考えてから買います

 

つまり

「買う」ときから「手放す」ときまでを
イメージしてから買っています

 

 

まずは、服を買うときに

どんなシーンで
どんな服と組み合わせて着るのかを
3つ以上イメージしてみませんか

 

それに慣れてきたら

最後に「手放す」ときに「感謝」の気持ちを
持ってお別れできるかどうかを
イメージしてから服を買いましょう

 

このように、購入前にイメージすれば

着ないのに「もったいない」という理由で
お別れできない服がなくなります